セックスに罪悪感を持ってしまう理由【性教育の歴史】性の向き合い方と伝え方

セックス性教育
セックス
私たち大人は“セックスに関する教育“を受けていない人がほとんどです。

子供の頃に受けた性教育といえば、月経や射精、妊娠〜出産などの生殖に関することだけで、肝心の「やり方=性交」を教わって来ませんでした。

「どうやって射精するの?」
「どうやって精子を卵子と授精させるの?」
「赤ちゃんってお尻のどこから出てくるの?」
なんて事を尋ねても、困った顔をされはぐらかされたり、怒られた記憶があります。

性について聞ける大人がいなく、エロ本で学んだ人は多いのではないでしょうか?

そんな幼少時代を過ごした私にも子供ができ、あの頃の自分のように性の質問をして来るようになりました。
怒られて、もやもやした経験のある私は、同じ事を繰り返したくないと思っていました。

セックスは悪いことでも、恥じるものでもありません。
他の事を教えるように「普通に」性教育を伝えていきたいと思っていた頃に、子供向けの性教育セミナーを受けることができました。

今回はその内容も交えながら、「性の向き合い方・伝え方」を改めて考えてみます。

セックスに罪悪感を感じる理由

妊娠をした時に、違和感を感じたことあります。
妊活でするセックスは良くて、避妊をしてするセックスは恥ずかしいという感覚です。

子供をつくる「手段」としてセックスをするのに対し、避妊をしてするセックスはそれ自体が「目的」ですよね。
セックスが目的になると「スケベ」「変態」扱いで、特に女性だと「アバズレ」「尻軽」みたいないけない気持ちになります。
スポーツや音楽で快感を覚えるのと、セックスで快感を覚えることってなんか違う気がしますよね。(笑)

セックスを通じて感じる「心の繋がり」とは別に、いけないことをしている気持ちが常にありました。
なぜ、セックスに罪悪感を持つかは、日本の性教育の歴史を知ることでわかります。

セックスは怖いものと植え付けている

過去の性教育は、結婚まではセックスをしないことを習わせ管理する「純潔強制教育」と、性病のリスクを強調することで性行動を遠ざける「性の恐怖教育」がありました。

私のような30代、40代世代は、寝たこを起こす論といった、問題行動を起こされたら困るから教えないという「抑制的性教育」でした。

1953年頃から、性的エネルギーはスポーツで解消させる論理や、余計な事を教えて好奇心を刺激してしまうことになると考えられていたので避けられてきました。

当然、その感情は大人になっても残っていきます。
性=いけないこと、悪いこと、タブーなことの意識が植え付けられ、
セックスに対して消極的に感じてしまうのです。

嬉しいことに、近年は「包括的性教育」という性教育が世界的にスタンダードになってきていて
セクシャリティを精神的、心理的、身体的、社会的側面で捉えながら学ぶことができるようになりました。

オナニーは変態行為である

ダメだと思っても、それ以上に興味は湧いて来るので、エロ本で研究していた頃、
オナニーのやり方を知り、早速試すのです。

そして、マスターベーションを初めて感じた時、オナニーがクセになり習慣化されていました。(笑)

セックスですらタブーなのに、オナニーなんて完全に性的快楽だけで
ただの変態行為じゃん!と罪悪感と快楽が結びついていくのです。

子供を持つ親は「もし子供が、性器をいじって逝ってしまったどうしよう!」と感じることがあると思います。
自分がオナニーをした時に、罪悪感を覚えてしまったことから、オナニーを悪者にしてしまうのです。

それって、子供が人に暴力などを振るって傷つけたらどうしようと、同じベクトルな気がします。
セックスやオナニーは傷つく行為なのでしょうか?

例えば、悪い男に騙されて体を弄ばれたとして、
セックスをすることで傷付く場合があるだけで、セックス自体で傷付くわけではないのです。

これからの子供に伝える性教育

「赤ちゃんはどこから来るの?」
子供の素朴な疑問に、大人は困ってはぐらかしてしまいがちです。

「まだ早い」と思春期になっても、体が大人になっても正しく教えてもらえません。

実際、私も性交について親や学校で学んだことはありません。
私が最初に性交のやり方を知ったのは、小学校高学年くらいの時に、海外の性教育現場を取り上げた番組がTVで放送されていました。

アニメーションの性交の映像を観て、自分と同い年くらいの子供が感想を言い合っていました。
「気持ちよさそうだった」とか「やってみたい」とか「触ってみたい」という意見を人前で発言していて、びっくりした記憶があります。

その中で、日本の性教育が遅れているということもアナウンスしていました。
ペニスから精子がで出て子宮に到達し受精すると子供ができるという、生物学的な説明しかなされていなく、肝心のやり方が省かれているからです。

私たち大人も性教育についてネグレクト状態で育ってきました。
だから、大人になった今、子供たちにネグレクトにならず性教育を伝えていけたらと思うのです。

教えるのではなく、一緒に知るからスタートしてみる

セックスだけを特別扱いせず、どうしてお腹が空くの?どうして野菜を食べると体にいいの?と同じように「普通」に答えれば良いのです。
どこまで詳細に伝えるかは、それぞれだと思いますが「キスすると赤ちゃんができるの」とか「お空から来たのよ」とかではなく
良い悪いで考えないで、ただ事実を伝えるだけです。

性の質問をした時だけ不機嫌になったり、怒ったりすると「セックスはいけないことと」と刷り込みが入ってしまいます。

思春期になれば、キスやセックスを覚えるのですが、犯罪を犯している共犯者のような気持ちになります。
秘密を共有している気持ちよさですが、前向きで明るいというより、ダークな気持ちでした。

セックスが大事なことには変わりありませんが、悪いことではないですよね。
この人と仲良くしたい、愛し合ってみたいという気持ちですることもあります。

親は子供に傷付いて貰いたくないから、セックスをしてほしくないと思ったりもします。
だったら尚更、セックスを教えないと、セックスが何かもわかりません。

子供に自分の価値観を刷り込ませて、子供の体を親の所有物にするのは少し違う気がするのです。
子供の体は本人のもの。誰と関係を持つかは親ではなく、本人が決めることですよね。
だから、性教育を子供と一緒に学び直さないといけないと思うのです。

タブーな意識を捨てて、自分の方が大人だからと上から目線で教えるのではなく、子供と一緒に新しい気持ちで学んでいきたいと思います。
古い価値観や偏見を捨てて、新しい情報を一旦取り入れて、その中で自分がしっくり来るものを選択していくのが良いと思うのです。

時代の流れはこうだけど、古い価値観がしっくり来る時もあります。

私の場合で言えば、結婚、出産、離婚、を繰り返し、30代に入ると性欲が増し、性の価値観、捉え方が変わってきました。
それは流動的で、その日の気分でコロコロ変わっていくこともあります。
こういう答えのないテーマは、最終的に自分がしっくり来るものに出会えるまで、考え続けるのを楽しむものと思っています。

「いけないこと」認定すると、タブーなセックスしかできなくなる

セックスを怖いもの、傷付くものと刷り込ませ過ぎると、無意識の中で「セックス=傷付く行為」と紐づいてしまうので、
セックスを使って傷つくような行為を「無意識」にやっている場合もある気がします。

どういうことかというと、私たちは自分の考えが正しいと「無意識」に証明する事を日々やっています。
人生の大半は、その答え合わせに時間を使うのす。

例えば、「男は浮気する」とか「給料は上がらない」とか自分が思い込んでいると、
浮気するような男と付き合って「ほら!男は浮気する!私が正しい」とか
ブラック企業に勤めて「残業しても給料が上がらない!私が正しい」とか
自分の正しさを証明するために、そういう状況を自ら作り上げるという事を「無意識」にやっているのです。
なんとも怖い…。(笑)

人間にはそういう性質があるので、「セックス=傷つく行為」と強く思ってしまったら、愛するセックスができなくなります。
自分の信じた方が不利でも、正しさを証明したいから、傷つくセックスを「無意識」にして証明したいのです。

楽しく愛するセックスだって出来たのに、悔しくて認めることができません。
これは、全て無意識の中で行われていることです。

セックスにタブー意識が強い日本において、アダルトコーナーのほとんどがタブーものですよね。
「ロリコン」「不倫」「お母さん」「妹」「女教師」など、セックスにタブーを持ち込んでしまうのです。
好きな人とセックスするより、タブーな相手とするセックスに興奮を覚えるということにも繋がっていると思いませんか?

タブーや罪悪感ではなく、愛し合うことで繋がりたいはずです。
私自身、あれが愛のあるセックスだったのか、プレイの一環だったのかよくわからないことがあります。

皆さんは、愛し合うセックスをしたことありますか?

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